こんにちは!就労継続B型事業所アクションです!✨
今回はあーたん・くぅたんと歴史を学ぼう!第1回「池田屋事件」の後編!
前編はこちらをご覧ください♪

さっそく池田屋事件当日の様子やその後を勉強…いや、本人たちに聞いてみましょう!
あーたんよろしくお願いします!



よし!さっそく教えよう!



任せろ!
池田屋事件
改めて「池田屋事件(いけだやじけん)」とは…
1864年の7月8日、京都の池田屋で起きた京都の治安維持組織「新選組(しんせんぐみ)」が当時京都で活動し池田屋で会合をしていた過激派攘夷志士たちを襲撃した事件です。
今回は事件当日の動きなどを教えてもらいます!
池田屋事件当日



「新選組が攘夷志士を襲撃した事件」なのは有名な話ですが…そもそもなぜ攘夷志士たちは池田屋に集まっていたんですか??



俺はその場にはいなかったんだけどよ、志士たちは「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火をつけてその混乱に乗じて久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう:皇族)を幽閉して徳川慶喜(とくがわ よしのぶ:江戸幕府15代目将軍)や松平容保(まつだいら かたもり:会津藩主)たちを暗殺して、天皇を長州へ連れ去ってやろう」って話をしてたらしい



それはやばい…



でもよ、これは新選組のでっち上げって話もあるんだよ。
長州藩の志士・桂小五郎(かつら こごろう)さんの日記には、この日は「新選組に逮捕された古高俊太郎という志士を救い出すための会合をしていた」とだけ記されていたらしいぜ。
つまり攘夷志士側が「将軍や藩主を暗殺して天皇を連れ去ろう」なんて話をしていた証拠がねえんだ。



そうなんだ!
私は新選組は京都を守る正義の味方!というイメージがありました!



俺たちがやっていることもあいつらがやっていることも「正義」だ。
争いはお互い自分が信じる正義のために起きて、争いを起こした時点で正義は悪となりうる。
歴史はそれの繰り返しだ。
新選組は俺らからしたら厄介な、邪魔な組織で、俺らは日本を守り強くしていき、外国に負けない国にしていくために奔走した義士だ。



その通りだな。お前たちも自分たちの正義のもと活動していたのだろう。
俺の正義は上様を、幕府をお前たちのような輩からお守りすることだ。



近藤てめええええ!
話に入ってくんな!今は俺が話してんだ!



あとでっち上げなどではない!
お前たちの野蛮な計画を未然に防いだのだ!



もう160年経ってるんですからケンカしないで💦
と、とにかく事件の経緯には色んな説があるんですね💦



あのあーたんがタジタジだ…
池田屋襲撃



事件当日はどんな動きだったんですか?
僕が隊士ならドキドキして落ち着かなさそう…



そんなんじゃ新選組隊士は務まらんぞ!
まず俺たちは数組の隊に分かれたんだ。
夕方から、志士たちの潜伏先をそれぞれの隊みな市中をしらみつぶしに探し、夜に俺たち近藤隊が池田屋に志士たちが潜伏しているのを見つけた。
そして俺と沖田総司(おきた そうじ)と永倉新八(ながくら しんぱち)と藤堂平助(とうどう へいすけ)の4人で踏み込み、残りの隊士たちは志士たちが脱出できないように池田屋の周りに配置した。



みなさん剣の達人とはいえたったの4人で!?
池田屋での戦闘はどんな感じだったのでしょう…?
きっと壮絶だったでしょうね…。



ガタン!ダダダッ!ドン!ズサッ!ドサッ!ドゴン!って感じだ。
暗くてなんも見えなかったw



(なんだそれ…)とにかくガムシャラに戦ったという感じかな?



まあそうだな。
なんせ相手は20人以上だ。
そりゃ夜通し戦いまくりで大変だったよ。
外の守りがなければもっと逃げられたと思うぞ。
だが外を守っていた隊士たちのうち3人は脱出を図った志士たちと戦い1人はその日のうちに、2人は1か月後に亡くなってしまった…。
しばらくして、他の場所を当たっていた土方隊が合流してからは志士たちの捕縛を最優先にしたんだ。



新選組側にも死者が…。
この事件で多くの有名な志士たちが亡くなっていますね



そうだ。この事件のおかげで明治維新(幕末から明治にかけての近代化・変革)は数年遅れたと言われているぞ。どや。



あ~そのドヤ顔腹立つぜ!まあ結局俺たち攘夷派が勝って今に続いているわけだからいいんだけどよ。



(# ゚Д゚)



まあまあ💦
この事件で新選組側の死者は3名、志士側の死者は10名以上(自刃も含む)でその他は捕縛や脱出など。
夜の暗闇と猛暑のなか何時間も戦っていたというのですからすごいな…。
新選組はその後、夜のうちに帰ると闇討ちの恐れがあるために夜が明けるまで待機し、翌日の正午に壬生村にある屯所に帰還しました。沿道は野次馬であふれていたそうです。
野次馬たちは
「え?なにがあったん?新選組がなんかしたん?ただごとじゃねえなこれ…(´・ω・`)」
「池田屋で人めっちゃ死んだらしいよ、やばくね?💦」
「どうするぅ?池田屋見に行ってみるぅ?w」
って感じの話をしたりしてたんでしょうね。
新選組三番隊組長・斎藤一(さいとう はじめ)が後年「あんねー、なんつーのかな、真剣での斬り合いってのはさ、敵がこう斬りこんで来たら、それをこう払っておいて、その隙にこう斬りこんで行く!とか出来るもんじゃなくてさ、夢中になって斬り合うんだよね」的な言葉を言い残しているので、相当壮絶な戦いだったでしょうね…ましてや狭い室内での斬り合いとなると…。
この事件で新選組の知名度は上がり、幕府から報奨金も与えられました。
そして組の勢力拡大のため、隊士を多く募集することになります。



新選組の躍進が始まった時期だな!
この事件による影響
吉田稔麿(よしだ としまろ)や宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)などの有能でこれからの日本を担うであろう志士たちがこの事件で死んだことで新選組は攘夷志士たちに大打撃を与えました。
でっち上げにしろ何にしろ、攘夷活動にマイナスな影響を与えたのは間違いありません。
そりゃ近藤さんもドヤ顔もするよね。



ははは、すごいだろう!
やはり池田屋事件は幕末の歴史において大きな事件でした。
幕末の終わり
攘夷志士たちは次第に「日本を外国に負けない国にするためには日本を近代化させないといけない!そのためには外国の制度や武器や戦略などを日本に取り入れなければいけない!」という考えになっていきます。
池田屋事件で有能な攘夷志士たちが斃れていきましたが結局この事件の3年後である1867年に大政奉還(たいせいほうかん:国の政権を幕府から朝廷に返すこと)が実現し、新政府軍(攘夷志士側)と旧幕府軍(新選組側)の戦い・「戊辰戦争」が起きて、新政府軍が旧幕府軍に勝利し明治維新を迎えました。
つまり近代化に成功したというわけです(一概には言えませんが大雑把に言うと笑)



そうなんだよ。ついに俺たちは幕府に打ち勝ち、新しい日本をつくり始めたんだ。
常に勝者の視点で伝わる歴史。
新政府軍に敗けた新選組はしばらく悪者とされました。
しかし大正時代まで生き延びた元新選組二番隊組長だった永倉新八(ながくら しんぱち)が「新選組顛末記」を残し、新選組の慰霊碑を建てたり、同じく元新選組の隊士で明治時代まで生き延びた島田魁(しまだ かい)は「島田魁日記」を記していたりと、新選組の歴史の多くを後世に伝え名誉回復に努めました。



永倉も島田もまじでいいやつだわ。他にも新選組のことを後世に伝えた元隊士は何人もいる。まじみんなさんきゅな。



でも今の日本にはガッカリだぜ。なんでこんな国になってしまったんだ。



同感だ。お前たちのつくりたかった理想の国とはかけ離れてしまっているな。



池田屋で死んだ仲間たちも浮かばれないぜ…。



俺も国のために尽くした武士だったが…今の日本を見てみると「この国に尽くしたい」とは思えないな。



あの頃対立していた俺たちが死んでから分かり合うとは思わなかったぜ。



お前たちも俺たち新選組もやり方、思想は違えど国のために戦っていたしな。
おっと、そろそろ帰る時間だ。
お前たち真ん丸で可愛かったぞ。それじゃあな!



じゃあな!



あ、帰っちゃった…
まあとりあえずぷにぷにな私の可愛さは伝わってたようでなにより♡



と、とにかく今回は幕末に起きた新選組による攘夷志士襲撃事件「池田屋事件」を紹介しました!(僕らほぼしゃべってないけど💦)
すごく端的な説明なので詳しいことが気になった方は調べてみてください♪
上で近藤勇さんも言っていましたが、新選組も攘夷志士も思想ややり方が違うだけで、国を想う気持ちは同じ。
幕末は「武士の時代」から「近代国家」へと変わる転換期でした。
新選組の敵である「攘夷志士」たちが日本を強固な国にするために時代を変え、政治家になり新しい日本をつくりました。
しかし約160年経った今の日本は、彼らが思い描いた「外国に負けない強固な国・日本」とは程遠い国となりました。
日本の偉人の発言や行動を見てみると、「彼らが今の日本を見たらがっかりして憤怒するだろうな」と思うことが多いです。
元々歴史が好きなので、改めて好きなものを調べてブログに書いてみようと思い今回池田屋事件を取り上げて幕末の歴史をまた調べてみました。
過激な思想で暗殺や殺戮を行っていた攘夷志士たちを全肯定はしませんが、国を良い方向へ変えようと行動していた彼らは、今の時代をただ流されて生きている私なんかより立派な人間だと再確認させられました。
今回は「国を守るために行動した組織・新選組」と「国を変えるために行動した若者たち・攘夷志士」が戦った、幕末という時代の1ページに色濃く刻まれている事件「池田屋事件」を紹介しました。









